上演『幸福な島の夜』に関する調査

令和5年10月26日から11月5日にかけて、東京都・目黒区(当時)にあった劇場「こまばアゴラ劇場」にて、演劇プロジェクト≪円盤に乗る派≫による作品『幸福な島の夜』が上演されました。

近年の調査によって、写真・映像・戯曲といったいくつかの断片的な資料こそ発見されましたが、当時の観客が上演をどのように受け止め、どのようなことを感じたのかは残されていません。令和年代の記録の多くは、現在アクセス不可能になっている旧www(ワールド・ワイド・ウェブ)上の「ソーシャル・メディア」と呼ばれる媒体にしか残されておらず、また、紙のアンケートという風習も、当時の演劇業界ではすでに廃れていました。

旧演劇文化調査委員会は、かつての演劇文化の調査を通じて、失われた時代の再発見・記録・保存に務めております。

もし、当時の演劇をご覧になった方がいましたら、どのようなささいなことでも構いません。そのとき感じたこと、思ったことなど、こちらの掲示板に残していただけたらと思います。

旧演劇文化調査委員会

こまばアゴラ劇場の写真
こまばアゴラ劇場の写真(当時)

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俳優の表情の作り方に見応えがあった(舞台との距離が近いのも良かったのかもしれない)。登場人物の表情とか呼吸の動き越しに、滅ぶ寸前の世界の生々しさを感じられた。 舞台との距離が近いと自分の視線の動きで、舞台の見え方が変わる気がしますね。観客の数だけ、あの世界の見え方がある感じが豊かでした。

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必要なものはあり、不要なものはなかった。ので、めちゃくちゃ良い演劇だった、と思った。

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合成音声を比喩した喋り方は新しいなと思っていたら、それはイメージの提示だけらしい。役者さんに依るイメージを薄れさせて、気持ちがラクになる。 そして、ふと気づくと作家さんのイメージも薄い! こちらの勝手なイメージを遊ばせる見方を思い出す。 そういえば、お客さんの表情が分かるほどに客席が明るい。舞台は、お客さんを含めてなんだよなと、楽しくなる。舞台3方が客席で、あの方向から見るとどんな感じがするのだろうと、そんな見方もできる。 IDを伝えるのに紙カードかよw と思ったところから、未来はたいして変わらないのだろうな、というのが私の感想。 それより、今回は電子チケットにしたのだけれど←手数料80円だけだった! チケット表示にしたら枠だけの画面になった。? と思ったら係の人が「の」の字描いているような、で使用済み画面になった。新しいなぁ。明確に使用済み操作してもらったの初めてだった。そんなとこまで気を使ってくれるのが嬉しかった。

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パペットの偽物のような登場人物たちが、水や音楽、空気を摂取するところが妙になまなましく感じられました。 人の記憶の中、記録を読み取る人間の中に最後まで再生されるのは何なのでしょうか。言葉なのか、イメージなのか、体感的な感覚なのか。繰り返し発せられる言葉に影響されてか、観劇後に思い出す音楽の印象が、いつの間にか別の曲に置き換わったりもしました。

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演劇を観たのは3回目だった。 笑っていいのかダメなのかわからなかったけど(マナー的に)、面白かったので笑ってしまいました。 最後の方は、何がどうなっているのかがよくわからなくなっていました。マザーズ・リトル・ヘルパーが2人いるのだとわかり、カラヤンの姿が結局謎のまま(に思えて)終わったのが、ずっと怖いです。 怖くて笑える劇だったと思います。 それと、俳優の顔が完全にイっていて、よかったです。

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役者が近くの狭い空間にいっぱいいるシーンが、いっぱいいる!って感じで、嬉しかった。 ピエールが水をもってきてくれるシーンが優しくてよかった。

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真っ暗なシーンが日常でありえないくらい真っ暗で楽しかった みんなが言っていることは全部抽象的だったけど少し分かるなーって思って、それが嬉しかったです

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役者が近くの狭い空間にいっぱいいるシーンが、いっぱいいる!って感じで、嬉しかった。 ピエールが水をもってきてくれるシーンが優しくてよかった。

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血の流れない、いい演劇でした。 霧を吸わされました、たぶん。 ハイテクと言い張るパントマイムが見事でした。 その言い張りの不自然さが気にならなくなる程度に、大仰な戯画化がまぶしてありました。 いい塩梅でした。 顔から滴る、異様な量のしずくに光が映る。 人々は笑える上演を真顔で観ていました。 キャストは人間でした。 役は人間だったかわからない。 死体は現れませんでした。 死体のようなものは見たかもしれない。 明日は日曜の朝です。

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カラヤン(と呼ばれる人物)とピエールのやりとりが友人に値するものに見えて、気持ちが安らいだ。 カラヤン(と呼ばれる人物)の「びっくりした」に対して「びっくりしたんだな」とピエールが反芻するやりとりや、ピエールの魔が差した行為を許容するカラヤン(と呼ばれる人物)に、友人への思いやりや友人を受け入れる態度のようなものを感じた。