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当時その演劇を見たときはまだ誰でも金さえ払えば鉄道に乗ることができていた頃です。 パイプを用いた浄水施設のような舞台美術に不安げに明滅する照明、典型的でSFチックなシンセサウンドを聞きながら開演を待っていたことを今でもありありと思い出せます。 この演劇に用いていた身体の所作や発話の仕方は、現在では一つの歌唱法や舞踊のテクニックとして広く多くの人が行っていますが、当時としてはかなり新しい部類にはいるものであり、歴史としてまとまった研究はないものの現在のショーの一つの礎となったのではないかと思います。 もっとも当時は私も「人形みたいだ」とか「初期のプレステのゲームみたいだ」とか「人間の身体がもつ可塑性や表現力を貶めている」などといった的外れの評価をしていましたが、逆に「人間らしい演技とはなにか」と考えるきっかけにもなった気がします。 物語の内容は未来の世界のちょっとした事件をコミカルに描く、いわゆるSFコメディのようなものだと記憶しています。といっても今の我々からすると町民のシリアスな生活を描く歌舞伎であり、特に笑えるものではないでしょうが。ただ先述したように当時は実験的なものとして受け止められたので、私が見たときも笑いもそこまで起きていなかったと思います。 こうやって思い返してみると不思議で奇妙な印象をもった作品でしたが、とても記憶に残る作品でした。記録が残っていないのが残念です。 調査の一助となれば幸いです。
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M.L.H.が手回し音楽再生機?を回しながら踊るシーン、途中から大事な赤子を抱いてるように見えて泣きそうになった
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演劇的なリアリズムからひとつテキストの方に引き戻されたような演技はまるで自分が思考したり本を読んだりしている時の頭の中のような音や動きで、だからこそ本当により近づいているように感じられる。マザーズリトルヘルパーは嘘であろうとしている?どこかで見たことがあるようなSFコメディが嘘と本当のどちらでもあるような形で構成されている質感の作品だったなあと感じられた。
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円盤に乗る派『幸福な島の夜』凄い良かった。モンティパイソンやウェス・アンダーソンみたいなシュールコメディとの類似性からくる既視感をまず感じ、俳優それぞれの声がどこかで聞いた事のあるような吹き替え声に思え、俳優もどこか人形的に見えてくるのだが、妙に笑えない空気も感じる。 このコメディ的であるがコメディではない(演劇である)齟齬が重要に思え、身を委ねてみると、俳優の佇まいが戯曲からの要請とジャンルからくる要請双方をあえて引き受けた上で、ある瞬間そのどちらにも属さないフェーズへと昇華され、物語だけでなく世界がそこに歪さを保ちながら受肉した感覚を覚えた。 これがコントと銘打たれていたら、各所で笑いが起こり、その都度俳優の佇まいはコメディとして受肉しただろう。 しかしながらこれは演劇である。コントと演劇を区別したり、差別したりするつもりは全くないが、少なくとも今回の上演に生じたこの不気味で、世界を笑い飛ばしてしまうような受肉の形式は、演劇特有のものな気がした。むしろ、コメディやコントのようにジャンル化される事から解き放たれる欲望や力能こそ、演劇と呼べるのかもしれない。 俳優の意識などどう演じていたのかとても興味が湧いた。
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あのパイプオルガンかガス室の排気管かシャンデリアみたいな管と、ビニル管のつながった装置は面白かったが、もっと動くとか、光るとか、するのかな、と期待しすぎた。 現在に釘付けされた言葉は耳から去るにまかせるしかなく、そうやって時間のほうが止まるのを待つ感じ。昼下がりの絶望感を堪能しました。
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マザーズ・リトル・ヘルパーの歌詞を調べたらモロそういうことだった
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ハロウィンシーズンの渋谷を通って見れたのが良かった!日本の病理!
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なんかうまく言えないけど、おばあちゃんちで古い漫画とか読んでたのこんな感じだった
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帰りながら駒場東大前駅へ向かう道すがら、さっき見たもののことを考えていた。設定もハードだったし、内容もハードだった。まだ考えはまとまっていないけど、夜に布団の中に入って、目が慣れるに連れて天井がぼんやりと浮かんでくることを思い出した。見れて良かったです。
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