『仮想的な失調』インタビュー|日和下駄

––自己紹介をお願いします。

「円盤に乗る派」のプロジェクトメンバーの日和下駄です。2019年に「円盤に乗る派」に入ったので、メンバーになって5年になります。乗る派では、最初は俳優として加入して、今もメインはそうなんですが、『俳優としての自分のギャラってどう決まっているんだろう?』と思ったのがきっかけになって、運営に首を突っ込んでいった結果、制作もやり始めました。いわゆる公演の制作をやっているというよりは、団体の運営に関わる業務をやっているという感じなんですが、実際にやってみるとうまくいくこともいかないこともあったりして、現在はもっと良い関わり方がないかカゲヤマさんと相談しながら模索中というところです。

––下駄さんにとっての「円盤に乗る派」の印象を教えてください。

外側から見ると、先鋭的な団体に見えてると思います。カゲヤマさんが以前『歴史に残そうと思わなきゃ演劇をやる意義がないでしょ』と言っていたことがあるんですが、歴史に残ることって必ずしも現代において大衆がめちゃくちゃ面白いと思うこととは別だなと思ったんです。だから、必ずしも大衆的であることを目指さないという意味で、いわゆる先鋭的なことをやっているように見える演劇団体だなと思います。そう考えると、乗る派の試みが成功しているかどうか、外から色々と評価されもしますが、まさしく今というか現在わかりきらない部分もあるなとも思っていて、適度に気長に考えてもいます。一方で今回の東京芸術祭への参加のように、目に見える評価も出始めてきていて、それは素直に嬉しいですね。

創作手法としてはすごく原理的な団体だと思います。これは僕とカゲヤマさんと共通する部分だと感じていますが、『演劇をするとはどういうことか』について、何かを前提にするのではなく、そもそもの一から原理的に考えて作っている部分があるなと。演劇という営みを根源から考えている人はそこまで多いわけじゃないように感じているので、この出会いに感謝という部分があるし、だからこそ一緒にやれているような気もします。あとは、原理的に考えつつも、カゲヤマさんが触れてきたもの、例えばアメリカ文学や現代文学、シュールレアリズムやポップミュージックの要素が、作品には確かに入ってきていて、それが独自の作風につながっているかなと思います。

自分個人にとっての「円盤に乗る派」は、恩をすごく感じています。というか、僕が入った時はカゲヤマさん一人で、前身の「seons wo:」という団体を一人で10年やっていて、僕にとっての認識もそこが大きいので、「円盤に乗る派」=カゲヤマ気象台に恩を感じているといった方が正しいかもしれません。大学を卒業するタイミングでメンバーになったんですが、当時というか今もですけど『演技ってなんだろう』『演劇ってなんだろう』と思いながら活動をしていました。あとは、大学入学の18歳の時に、10年後に演劇を続けていられるようにしておこうという目標を立てていました。演劇で儲けていられているかとは別のベクトルで、演劇を続けていくことに希望を持てるな、展望が見えるなという風にしておきたいという目標ですね。

でも、大学も都内から少し離れていたので、いわゆる小劇場・学生演劇シーンとは距離があって。あとは、どちらかというと世代が上の劇団に出ていたので、このまま卒業しても学生劇団上がりで活動を継続している人たちのように、シーンで存在感を持って活躍できないだろうと思っていました。おそらくこのまま大学を卒業したら特に何ものではない時間が過ぎていくのではないかという不安があったんです。そんな時に、カゲヤマさんの「sons wo:」の公演に初めて出て。クリエーションに際して、大学4年間で考えていたこととと重なるような問題設定をしていて、すごくシンパシーを覚えました。それで、この場所なら僕は演技ができると、こういう考えで演劇を作ってくれるのなら演技ができると感じて。カゲヤマさんは当時、注目され始めていたので、何者でもない自分よりここにいた方が僕も名前が売れるだろうという打算的な考え方もあり、メンバーになりました。ちょうど今が28歳で当時目標を立てた時から10年たったという感じになります。

––メンバーになった当時は『自分にとって良いこと』と思って入ったという感覚は、今、変化してきている部分がありますか?

そうですね、5年ですもんね。僕も『舞台見ました!』とか言われるようになって、周りからも名前を認知されている感じもあるので、多少は何者かにはなれているのかなと思います。団体としてもいい調子で進んでいるし、自分自身としても演技も上達している感覚があります。なので、以前ほど「円盤に乗る派」から何かを与えてもらっているみたいな感覚は弱くなってきていて、だからこそ恩を感じているんだと思います。何者でもない僕が、ある程度、強度ある演技ができるようになったし、劇団の運営というものが何かをすごくよくわかったし、育ててくれたという感覚があるので、これからは恩返しをしていこうという気持ちが強くあります。

東京芸術劇場で公演がやれるような団体になったので、この先がもうちょっと見たいという気持ちと、自分ができるようになったことも増えたので、それをうまく使って団体も伸びていくといいなという感じです。

––『仮想的な失調』の印象を聞かせてください。

『仮想的な失調』の前の作品、『おはようクラブ』とか『ウォーターフォールを追いかけて』という作品で、色々試行錯誤していたんですが、そこでまあやっぱり「円盤に乗る派」の作品はわかりづらい部分があるよなと思っていました。演劇のわかりやすさはドラマのあるなしが大きい部分もあると思うんですが、カゲヤマさんの作風が、演劇をやる以上ドラマは生まれてしまうから意識はするけど、まさしくドラマを扱うということまではいかないという感じだったんですね。それで、『ウォーターフォールを追いかけて』くらいからドラマについて扱い始めて、より踏み込んで考えてみようとなったのが『仮想的な失調』でした。そのために、原作があった方がいんじゃないかと候補をカゲヤマさんと話していて、結果、能と狂言に辿り着きました。ちょうど「Creators’ Cradle Circuit(3Cs)」という企画に参加していたので、その「3Cs 2021 Tokyo: 変異する舞台芸術」という発表の中で『名取川』を下敷きに作品を発表しました。僕が猫のアバターを使って喋ったりしましたね。それを踏まえて『仮想的な失調』の創作に入っていったので、僕から見ていると順当に時間をかけた成果が出ているなと思いました。

初めて戯曲を読んだ時、意外と(ページのレイアウトが)スカッとしてるなと思いました。カゲヤマさんの戯曲は文字がミチっとしているものが多いんですけど、『仮想的な失調』はスカッとしていて、不思議な気持ちでした。初めのうちは書かれていないことがあるということをどう扱ったらいいのか分からないまま稽古をしていました。「円盤に乗る派」は、出演者のこの人が明確にこの役割ということをしていない作品が多いんですけど、『仮想的な失調』は原作の構造を使っているから、出演者と役の紐付きが強くなっています。なので、確かに見やすい作品だし、東京芸術祭のプログラムとしてやるのはいい気がしますね。

『わかる』ってなんだろうということを「Creators’ Cradle Circuit(3Cs)」のときから継続して考えていて、「Creators’ Cradle Circuit(3Cs)」では身体を中心に考えていたんですが、それを『仮想的な失調』ではまさしく自分の全部を使う「表現」の次元に引き上げようとして取り組みました。これまでは演技というものを、テキストと自分が向き合って、テキストを解釈した結果、そこから発語されたテキストを意外なものとして僕と観客と一緒に見るみたいな感じでやっていたんですけど、『仮想的な失調』では、テキストと僕が一体となってから表現した方が伝わる情報量が多いと思ってそのことに取り組みました。最終的には顔の表情を使うとセリフにニュアンスが乗ることがわかってきて、結構得られたものが大きかったですね。

その結果が出たのか、僕にとっては珍しいんですけど、初演の時はSNSなどで褒めてもらったり、よかったねと声をかけてくれる人もいたりして嬉しかったです。一方で、前の作品が好きだったという声もあったりはしたんですが。ただ、多くの人にとって分かるということは何かが、円盤に乗る派なりに体現された作品だったのかなとは思っています。

普段のカゲヤマさんの作品では設定が結構複雑だったりもするので、内容を追いかけているとテキスト自体を聞くということに集中できないんだけど、原作があるおかげで内容を追いかける必要がなくてテキストそのものの面白さに純粋に向き合えたという感想があったりもしました。

––再演することについての印象を聞かせてください。

再演までの年数は同じくらいだと思うんですけど、『流刑地エウロパ』を再演した時とは感覚が全然違いますね。

『流刑地エウロパ』も『仮想的な失調』も、再演するとなった時カゲヤマさんが『初演と同じようにやりたい』と言っていて。『流刑地エウロパ』の時はあんまり何も思わなかったけど今回はなんでだろうと思ったんです。でもそれはさっき話した、自分の取り組みが「表現」することへと変化していることが要因な気がします。『仮想的な失調』の初演あたりから、演技のわかりやすさについて考えながら2年間くらい続けてきたので、「表現」できるようになってきつつある。初演の時よりできることが増えているので、2年前と同じようにやるということに今は逆に悩んでいます。

同じようにやろうとしても、できるようになったことがどうしても入ってくるから、みんなから違うねと言われて。2年前は、本当にそう思っていっているのかわからなかったんだけど、今は本当にそう思ってるように見えると言われて。このことは僕にとっては「表現」できているという意味で嬉しいことなんですけど、今回の再演においては良くないよなと思っています。

再演を同じようにやりたいということは初めて聞いた時には不思議だったんですが、腑に落ちたのは、2年前の初演がなんであそこまで人気だったのかよく分からない部分があるので、もう一回やることで検証したい気持ちがあるとカゲヤマさんから聞いた時でした。自分たちもなぜあれほど受け入れられたのかわからないから、それがなぜかを知るためにあえて変えようとしない態度はすごくよく分かるし、そう考えると僕もあの時の演技が褒められたのかを知りたい。

当時を振り返ってみると、これまで取り組んでいた自己内省的な演技と、「表現」したいという欲求がある種ぶつかっていた時期だったなと思っていて。そのことをもう一回考え直すことで、もっと強度ある演技ができるようになるんじゃないかと思ってやっているところです。

––まさしく再現することが、形だけの話ではなくて、不確定だった状況を確かめる場として機能しているんですね。

そうですね。だから再現するとはいっても、演技のやり方は全然変わるんだと思います。出発地点が違うから。今の僕はもう初演の時と同じようにはできない。あとは俳優としての快楽の問題なんですけど、最近はやらないことからどう喜びを得るかを悩んでいて。やらないとやっぱりわかるんだろうかという不安があって、そういうことと今は葛藤しているところです。

2024年8月21日(水)
インタビュー・編集:中條玲
撮影:濱田晋

日和下駄

1995年鳥取県生まれ。2019年より円盤に乗る派に参加。以降のすべての作品に出演。特技は料理、木登り、整理整頓、人を褒めること。人が集まって美味しいご飯を食べることが好き。下駄と美味しんぼに詳しい。

公演情報

「東京芸術祭 2024」参加

『仮想的な失調』

会期

2024年9月19日(木)〜9月22日(日・祝)

会場

東京芸術劇場 シアターウエスト

JR・東京メトロ・東武東上線・西武池袋線 池袋駅西口より徒歩2分。駅地下通路2b出口と直結しています。
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-8-1
https://www.geigeki.jp/

人々

演出
カゲヤマ気象台*、蜂巣もも(グループ・野原)
脚本
カゲヤマ気象台*
出演
辻村優子
鶴田理紗(白昼夢)
橋本 清(ブルーノプロデュース/y/n)
畠山 峻*(PEOPLE太)
日和下駄*

*=円盤に乗る派プロジェクトチーム

公演特設ページ:https://noruha.net/kasou2024/

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