稽古場レポート | 山本ジャスティン伊等(Dr. Holiday Laboratory)

稽古を本格的に始める前に読書会をするから参加してほしいとカゲヤマさんからLINEがきた。安部公房の『幽霊はここにいる』を上演するらしい。最高。私は安部公房は好きだ。大学に入って、長い時間をかけてはじめていちから全集を読んでいったのが安部公房だ。今でも読むたびに、アルミプレートが貼られた全集を抱えて、クーラーがいい感じに効いた三田キャンパス図書館、誰もいない地下5階に降りていく大学一年の夏に私はなる。

しかし『幽霊はここにいる』を読んだ記憶が私はない、図書館の本を借りていたから実物は家にないし、確かめようもない。読破したつもりでいたけど、本当のところは途中でやめたのかしら。当時は演劇ではなく小説を書いて生きていきたかったから、戯曲は飛ばしたか、記憶にとどめなかったか。安部は23か24歳で芥川賞を受賞した、私もそうなりたいと思った。

『幽霊はここにいる』は1958年、千田是也の演出で上演され、今の岸田國士戯曲賞の前身である、岸田演劇賞を受けた。

戦友の幽霊が見えるという男・深川と、その幽霊を金に換えようとする元詐欺師の大庭。「死人の写真 高価買います」というビラを町中に貼るところから商売がはじまり、それは幽霊による治療になり後援会になり、市長選にまで発展していく。幽霊という目に見えない、実体のないものが社会の経済/政治システムを乗っ取るという点で、この戯曲は消費社会に対する風刺劇として見ることができる。そして本作は安部小説のファンにはおなじみの、冷えた金属を感じさせるあの思弁的な文体からはやや離れた、不気味だけれどもたのしげなドタバタ劇という感がつよい。

その上演の準備としての読書会は、どのように行われたか? 円盤に乗る派は、徹底してテキストを重視しているカンパニーだと私は思っている。それは今年の春に参加した『「いまのところまだ存在しているわたしのたましいが……」』のクリエイションでも実感したことで、俳優がどんなふうに発話を作り、からだを動かすか、その素材の中心にテキストが据えられている。もちろんそれ自体は珍しいことではないし、稽古の進行もカゲヤマさんの演出コンセプトに沿って行われてはいるけれど、そのうえで「上演の演出」と「俳優それぞれの演技づくり」の切り分け、いわばその切り取り線の部分にテキストを置くことについて、おそらくこれ以上自覚的な作家/カンパニーはあまりいないだろうと思う。だからこそ演出家ひとりの解釈によらない、俳優それぞれが戯曲を読み、シェアしていくことが必要となる。

読書会の最初のタスクは、それぞれが戯曲を読んであらすじを書いてみることだった。あらすじというと客観的な筋という印象を持つ人も多くいるはず、しかし実際にやってみてわかったのは、戯曲の特定の部分を切り出し短くまとめていく過程で、そのひとが何を大事に読んでいるのか、取捨選択が出てくるために、個々人が何を読んでいるかが浮き彫りになるということだった。

キヨスヨネスクさんは全体的な構造と作品が持つ意図を的確かつ批評的なまとめをしていたし、油井さんは読んでいる自分のからだに何が起こっているかを重視しながら、戯曲の実況中継のように書いていた。同じ戯曲を読んで同じ「あらすじ」を書いた、だからそこには「間違い」はない、にもかかわらず出てきたテキストには取り替えのきかない差がある。

バラバラの「あらすじ」を並べた状態で、私たちはこれをいったんの素材として戯曲が抱え持っているいくつかの主題を話しあうことになった。

なかでも繰り返し話されていたのは、幽霊がいないことについて、そしてその演劇性についてだったと思う。舞台上に幽霊はいない。観客にも見えないし、声も聞こえない。それでも、深川の視線の先、身体の向き、間、誰もいない方向への返答によって、観客は幽霊の存在を想像できてしまう。不在の形象を、俳優の演技によって今ここに立ち上げてしまえることの演劇性は、この戯曲の中で特に面白いポイントだ。死人の写真に値がつき、新聞が書き、市民が金を払うことによって、幽霊は徐々に、実体を持たないままで「現実」に食い込んでくる。そしてこの物語の影にある、多分すべての登場人物が体験したはずの戦争のこと、これは議論というのではなく私たちに分かり得ないその分からなさを確認するように、とつとつと言葉が交わされていた。

カゲヤマさんから、今回の演出/演技コンセプトについてのレクチャーもあった。過去に円盤に乗る派が上演した如月小春の『MORAL』のステートメントでも、カゲヤマさんは如月が考えていた「消費社会の身体」について触れているが、今回はこの問題系を引き継ぎつつ独自の演技として発展させていく、そのための理論的素地や俳優がどんなふうに演技に落とし込んでいくかの話し合いがされた。

「消費社会」というのは、まさに私たちが生きている社会のことだ。私たちの生活に消費という行為や構造がどのように食い込んでいるか、個々人の実感と社会システムの両面から見直すことが必要だった。疲れきった夜、ベッドでショート動画を延々と送り続けてしまう。元気なときにはできない。何を見るか選ぼうとすると、かえって手が止まる。罪悪感はあるが、その都度なんとか正当化している。あるいは、長谷川あかりのレシピを見て、これを作る自分のことを少し好ましく思う。財布は動いていない。それでも、どこかで金は発生している。……等々、さまざまな話が出た。私自身、疲れが溜まっている夜はAIと延々チャットをしながらYouTubeとSNSを行ったり来たりしてしまうことが多い。短いエッセイなんかを読んでいる方がよっぽど心が休まることはわかっているのに、情報量に対する抵抗力がなくなって、むしろマルチタスク的にコンテンツを見てしまう。

三日間に分けて行われた読書会は、戯曲の読み込みから理論的/抽象的なテーマを引き出し、そこからさらに私たちの実生活における消費のあり方を見直す時間になった。半世紀以上前のテキストに向き合いながら、私たちはいつのまにか自分たちの生活や身体のありようを問われていたのだ。

ひとは上演の完成度を大事にしがちだけれど、ほんとうにもっと大切なのは、作品を作ったり見たりするひとの思考や想像力が答えのない問題へと旅することだ。そしてそうであるなら、すでにその一端は果たされていると私は感じた。

山本ジャスティン伊等(Dr. Holiday Laboratory)

1995年生まれ。カリフォルニア州サンタモニカ出身。劇作家、演出家、批評家、Dr. Holiday Laboratory 主宰。
2021年、サミュエル・ベケット作品における修辞学の研究で、早稲田大学大学院文学研究科表象メディア論コース修了。
主な舞台作品に『脱獄計画(仮)』(2023年、こまばアゴラ劇場)、『想像の犠牲』(2024年-2025年、ロームシアター京都ノースホール/吉祥寺シアター)など。
近年は他ジャンルの引用やオマージュを用いながら、メタ的な構造を多重に構築し、劇中の役とそれを演じる俳優の関係にある政治性を主題とする演劇作品を発表している。 2024年、主宰するDr. Holiday Laboratoryにて「ロームシアター京都×京都芸術センター U35創造支援プログラム“KIPPU”」採択。2025年、批評家の山﨑健太氏が主宰する批評紙『紙背』のプログラム「紙背フェロー」採択、2024年9月〜12月にかけて舞台時評掲載。
その他の仕事として、チェルフィッチュ『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』(2023年〜)で演出助手、『ユリイカ』へのエッセイ掲載(2025年10月)、リイド社のweb漫画雑誌『トーチweb』でエッセイ連載「ひまの演出論」(2023年〜)など。

公演情報

『幽霊はここにいる』公演チラシ

資本主義社会で生きるアナタに…

幽霊はここにいる(作・安部公房)

会期

2026年9月23日(水・祝)〜9月26日(土)

会場

森下スタジオ Cスタジオ(東京都江東区)

人々

演出
カゲヤマ気象台*
出演
キヨスヨネスク(humunus)
瀧腰教寛
畠山峻*(PEOPLE太)
日和下駄*
深澤しほ
油井文寧(Dr. Holiday Laboratory)

*=円盤に乗る派プロジェクトチーム

公演詳細
TICKET